こんにちは。
お腹の調子が優れないこと以外は元気なずむです。
そうそう。
昨日の「どうしても外せない用事」というのは
今まで仮設住宅でやっていた「英会話教室」の最終日だったんです。
でも、今回は英会話教室ではなく、
それに参加してくださってたみなさんと「食事に行こう」の会でした。
ハングル講座を6ヶ月。
英会話教室を3ヶ月。
月に2回会うだけだったけど、
約9ヶ月を共にしてきた方たちとのお食事会。
ハングル講座から英会話に切り替わった時点で2人くらい来なくなって
今日も全員は来られず今回は6人+スタッフ1人+私の合計8人で行きました。
一番熱心に参加されてた方たちはみんな来られたから良かった。
一番熱心に参加されてた方たちはみんな来られたから良かった。
日本料理のビュッフェスタイルのレストランだったんだけど
私は何といっても朝まで熱はあったしお腹の調子は良くないしで
ちょびちょびしか食べられませんでした。
でも、みなさんとたくさん話せて良かった♪
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私の前に座ってたお母さんは50代前半の方なんだけど
震災前からの苦労話などをしてくれました。
そのお母さんは
恋愛結婚で田舎の農家の長男の嫁となりました。
自分の親からは「長男の嫁は大変だからおまえにはつとまらん」と
言われたそうですがその時は好きだから
何も考えずに結婚したそうです。
結婚して、旦那さんは優しいけれど
やはり肩を持つのは妻よりも自分の親の方。
子どもを産んで子どもと一緒に居たくても
家の畑の手伝いをしなくてはいけない。
子どもは姑さんが育て
自分はおっぱいだけを飲ませに行く状況。
一日中畑仕事をして
家に帰って布おむつを洗うのは自分。
毎日全員分の食事を作るのも自分。
休みなんてなく、何か買い物に行くのにも
姑さんに子どもを見てくれるように頭を下げて
一刻も早く帰って来る。
一人でぶらぶらする時間などない。
遅くなろうものなら文句を言われる。
朝昼夜、毎食をみんなで共にする。
常に姑に怒られないかと緊張した生活。
一分でも気が休まったことがない。
そんな生活を二十年以上。
そして震災が起こった。
そのお母さんも
家やすべての物を失った。
畑も失った。
でも家族は全員無事で今みんな同じ仮設住宅に住んでいる。
一つの仮設住宅は狭いから旦那さんと二人暮らし。
お母さんは私に語ってくれた。
「私にとって今が旬だよ。」
心からの笑顔。
「今までモールをぶらぶらしたこともなかったよ。
今はやっとどこに何の店があるかくらい分かるようになったよ。」
「今までは隣の奥さんと顔を合わせても
時間がなくてお互い挨拶しかできなかった。
今はこうして一緒に韓国語を習って、英語を習って、
こうやってのんびり食事に出て来られる。
本当に私は旬だよ。今が旬だよ。」
すごく嬉しそうに話してくれた。
きっとそんな「今が旬だよ」なんて
震災で家族を失った人たちには言えないのかもしれない。
でも周りに家族を失った方がいない時に話してくれた。
ずっと時間のなかったお母さん方にしてみたら
「韓国語を習うこと、英語を習うこと、ランチを友達とすること」
すべてがテレビの中の出来事のように思っていたのかもしれない。
それが実現した。
私はすっぴん美人の韓国人でもないし、
英語を話しそうな金髪美女でもないけれど、
そのお母さんの「今が旬」を少しでも手伝えたこと、
その場所に一緒にいられたこと、
とっても嬉しくなりました。
最後にみなさんがお金を出し合って用意してくれた
箱菓子をプレゼントしてくれました。
そんなこっちが支援してる側なのにプレゼントをもらっちゃうなんて!
でも嬉しかったです。
そしてお別れの時は
「ではアメリカ式でハグでお別れしましょ」
って言って一人一人ハグしました。
一人一人にハグしながら
「ありがとうございました。」
「楽しかったです。」
「また遊びに来ますね。」
と伝えました。
そうしたら「今が旬」と語ってくれてたお母さんが泣いてました。
横のお母さんもつられて涙を流しておられました。
私は風邪がぶり返して来て意識が朦朧とし始めてきていたので
その時は泣かずに挨拶できました。
(後から思い出し泣きはしたけど・・。)
「みなさんに会えて良かったです。本当にありがとうございました」
「みなさんの家ができた時にはピンポーンって遊びに行きますから」
「またすぐに来ますから」
と伝えました。
みんなの家ができるまであと2年くらいかな。
本当に遊びに行きたいな。
この筆無精な私がハガキを出したり連絡取ったりできるかな。
がんばろうっと。
東北もあと10日。
さみしい。
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