チェンマイ90日日記

#86 8月15日という日

昨日は8月15日。
日本では終戦記念日。
韓国では独立記念日。
タイでは何の日でもないらしい。
でもタイには日本人がたくさん住んでいるので
ここチェンマイでも慰霊祭が二箇所で行われた。
ので様子を見に行って来た。
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①チェンマイから1時間くらいの所にある所
一万八千の日本兵・軍属・関係者の遺骨が納められている
詳しくはこちら
なんでも、平成元年に日本人一行がタイを訪れた時に、
タイの僧侶から
「ここにはまだ多くの日本兵がねむっている。」
「あなた達日本人はそれを省みようともしない。」
「そんなあなた達日本人は人間か!」
と一喝を受けたことで
遺骨収集がされ、
ここに戦病没者追悼の碑を建立したということらしい。
歴史的な流れはこういうことらしい。
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昭和16年12月に大東亜戦争勃発後、援蒋ルートの破譲及びインド独立を目指す
日本軍は、インド独立義勇軍と共にビルマに入り、当時イギリス領であったインド北東部の都市=インパールを占領すべく軍事行動を起こした。
 しかし、作戦は困難を極め死者7万人余り(一説には餓死者が10数万人)を出し、ついに昭和19年7月、この作戦は中止となる。その後日本兵は、タイ国メーホンソーン県からチェンマイ県への道を通ってビルマ(現ミャンマー)より撤退した。数多くの日本兵は、更にこの撤退の途中で亡くなり、遺骨や遺品などは撤退路に放置されたままとなった。(続きはこちら。)
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インパール作戦というのは
Wikipediaによると
『補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦代名詞として現代でもしばしば引用される。』
というほどの愚かな作戦で
「戦史上最悪の愚劣な作戦」とまで
言われているらしい。
だから一万八千も遺骨があるのかぁと納得。
去年までは有志で別々にやっていたけど
今年からは実行委員会を立ち上げて
フリーペーパーとかでも広く呼びかけて
たくさんの人が来られるように努力したらしい。
それでか、用意してあった椅子がいっぱいになる程の人がいた。

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②次は、チェンマイ市内にある所
寺院で行われていて
ここは何年もずっと行われている所らしい。
後ろの方から見ただけなので
慰霊碑がどこにあるのかは分からなかったけど
こちらにも結構人がいた。
本をそこの受付で販売していて
中を見たらちょっとおもしろそうだった。
これは日本軍のタイに対するチラシらしい。
「もし日本と共に戦うのならばタイは良くなるでしょう。」
なるほど〜。
こういう風にタイと手をつないだわけか。
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タイと日本の戦争事情は
歴史が分からないなりに簡単に書くと、
大東亜戦争の時、タイ政府は日本と手を結んだ。
「同盟国」となる。
でも日本の敵(連合国側)と手を結びたがっている人たちがいたので、
タイ政府は、その集団も隠れてサポートする。
要は二股をかけていたわけです。
そして日本が敗戦。
するとタイ政府は
「日本軍の軍事力が怖くてサインしたけど
本当は同盟国になりたくなかった」
と言って言い逃れをする。
すると連合国側はその主張を認め、
タイは敗戦国にならずに済んだ。
だからタイは東南アジアの中では
こんなにも経済力がある国となった。
ということらしい。
(あんまり正確ではないけど、
だいたいのあらすじはこんな所。
間違っていたらご指摘ください。)
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なんかこの戦争の話を聞くと分かる気がするけど
タイの人はあまり思っていることを顔に出さない。
日本人的な感じ。
もしくはそれ以上。
それでどちらに転んでもいいように
うまくやる感じがする。
その場ではにこにこしていても
実は反対意見があったり、
その場を円満に終わらせることが大事なので
例えば何かに誘って
「行きます行きます」
と言うけど、最後の最後で
「行けない用ができてしまいました」
ということが頻繁に起こる。
でもタイは「マイペンライ」文化。
「マイペンライ=大丈夫」という意味なんだけど、
「急に行けなくなりました」と言われた人は
笑って「マイペンライ」と言うしかない。
なので相手が怒っているのか
本当にマイペンライなのかは全然分からない。
まぁ日本でも「大丈夫大丈夫」って言うか。
でも、日本人は約束に遅れたり
ドタキャンしたりはあまりしない。
本当は大丈夫じゃないということを分かっているから。
でもタイでは日常茶飯事。
約束する時点で
「当日キャンセルになるかもな〜」
と思いながら約束をする。
そして、約束に30分遅れたとしても
遅れると電話連絡がないとしても
みんな笑って「まいぺんら〜い」と言う。
韓国で「韓国タイム」を味わって
「時間通り来ないな〜」って思ってたし、
自分もちょっと韓国タイムになっちゃってたけど、
タイはそれ以上。
やっぱり南国の人柄なのだろうか。
みんな時間ぴったりに来ようという意識があまりない。
でも確かに雨期になると
「雨が降って渋滞で」とか
「雨が降って雨宿りしないといけなくて」
ということがかなり頻繁に起きる。
まぁみんなゆったりとした生活をしているので
30分遅れようがその後に用事が詰まっていないのかな。
今は自分もゆったりとした生活をしているから
予定が急に変わったり待たされたりしても
何も動揺せずに
「そうなんだ〜」
ってなれるけど、
仕事とかしてたら大変そう。
でもチェンマイは基本的に
観光業を営んでいる人がほとんどで、
バンコクみたいにビジネスマンはあまりいないから
だから余計に時間にルーズになるのかな。
自由といえば自由だけどね。
この暮らしにはまったら逆に抜け出せなくなりそう。
これに慣れちゃったら
逆に日本の社会は窮屈に感じるだろうな。
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話はちょっとそれたけど、
戦争中に日本はタイに二股をかけられ、
戦後は、Wikipediaによると、
『日本の敗戦後、タイは日本を裏切った代償として、日本の国際社会復帰に尽力した。後にククリフト・プラモード元首相は「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは一体誰のおかげであるか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」と述べている。』
ということらしい!
日本を裏切った代償として
日本の国際社会復帰に尽力してくれたんだ〜。
そして、この上記のような考え方があるから
タイ人は日本人に友好的なんだね。
まぁこの考え方が良いかどうかは別として、
この考え方がどのくらいの人に浸透しているかは別として。
学校の先生は、
「韓国は今でも日本のこと怒ってるでしょ?
タイの人たちは戦争の時のことなんて
みんな忘れちゃったよ。」
と言っていた。
そして
「でも、日本は戦後、本当にがんばりましたね〜」
ってなんだか知らないけど褒められた。
先生に
「タイで8月15日は何の日ですか?」
と聞いたら
「何の日でもないよ。日本は何の日なの?」
と逆に聞かれたよ。
そりゃ日本の終戦記念日なんだから
タイでは関係ないのは当たり前か。
なんか韓国では独立記念日っていうのが
自分の中には大きくてそういう風に聞いちゃったのかな。
昨日もある韓国人の友だちが
「韓国独立万歳!」と写真をアップしていた。
そのアップしてた友だちは日本語もできるし
日本に対する敵対心とかから
これをアップしてるわけではないと思うけど
それでも「独立万歳」ということは
「日本からの独立万歳」と言われている気がして
なんだかちょっと気持ちが切なくなりますよね。
でも今回調べてて初めて知ったけど、
韓国がアメリカから独立したのは
実は8月13日なんだね。
だから本当は8月13日が独立記念日のはずなのに、
韓国の初代大統領が
「日本から解放されて私たちは独立した!」
と反日感情を煽るために
日本の終戦記念日と韓国の独立記念日を合わせたらしい。
なんだか政治っていろいろ複雑だ。
みんな仲良くしてくれたらいいのにね。
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と、いろいろ考えたのが昨日。
そして今日はYMCAの最後の授業でした♪
本当は来週の月曜日までだけど
来週の月曜日はもう帰国日なので
今日が最後。
しかも、クラス4人のうち、
2人はもう帰国しちゃってて、
私と韓国人男性だけのクラスになり、
しかも韓国人男性が前回も今回も休んだから
二回も私と先生のマンツーマンレッスンでした◎
で、先生は日本語も少ししゃべるので
タイ語&日本語で
いろんな話をすることができて楽しかった♪
タイ語の授業、楽しかったな〜♪
3ヶ月で学んだことを忘れずに
日本でさらにレベルアップできるかが課題。
ABOUT ME
elemo.me
カナダに留学。アメリカ、韓国、タイなどに住む機会があり、その時々で、いろんな方のブログやネットの情報に助けられてきました。 私も、自分の記事が少しでも誰かの役に立ったらいいなと思い、海外で調べたことや、行ったお店の紹介など、少しずつアップしていくことにしました♪